■社長の職歴
大分県中津市に生まれ、18歳で大阪に上京しクボタ鉄工の耕運機工場に入社し、器用
さを見込まれ、北海道から鹿児島まで全国各地に出張し、耕運機とエンジンを修理してまわりました。外注係も担当しその間加工関係を勉強し今もその経験はおおいに役にたっています。30歳までは世の為、人の為に働き、30歳を過ぎたら自分の為に働くということを自分の中で決めていたので29歳11ヶ月で独立し商売をはじめました。
山口県の防府市で農機具販売所に勤め、本田技研の九州汎用のサービスブロックの会
長をしている時に本田宗一郎氏に逢いホンダイズムに共感し、ホンダという名前をもらいました。有限会社ホンダ機械を設立し農機具を売りながら、その後ホンダマシーンで自動車も販売、修理していきました。
その後、海の方面にも目をむけボートや和船を販売していましたが、乗ればたたくし、しぶきはかかるし、ええ船はないかのうとさがしましたが、さがすより自分で作ろうと思い人にできるものは自分に出来な
いわけはないと自分で21尺のふねをつくったのが船造りを始めたきっかけでした。
当初は工場もなく牛小屋で作っていましたが、そのうちウン?もついて、昭和53年10月にはミヤマ造船株式会社を設立して、ヤンマー造船に多数の和船を納艇しました。
当初、岩国地区では貝堀漁が盛んで川を走行する浅いふねの需要があり、そういう船に
つけるドライブ和船を考案したのもこのころです。当時ドライブというものはなく
画期的な発案でした。このドライブ和船をきっかけにヤンマー造船にZD26A3,ZD24A5,
ZD28B5をミヤマ造船で建造して納めました。この船のMWシリーズは24尺
から初めて40尺までいまでもあります。 昭和60年代には西武自動車販売(株)にOEM契約でSAシリーズ(SA225〜SA265)
いすゞ自動車株式会社にはキングフイッッシャー23や平成2年頃には大ヒットしたFCシリーズ(FC230〜FC270)をスズキ株式会社にOEMで販売しました。なかでもFC230はスタイル、船体の頑丈さともに大評判で日本全国にミヤマの船がいかにすばらしいか
をしらしめました。 平成12年には本田技研工業株とOEM契約でMFCシリーズ(MFC215〜MFC255)
を発売し好評を得て、現在は折り返しをつけることによって、居住性を重視した、広いキャビンスペースを可能にした新しい船を開発中です。ご期待ください。
一隻開発するごとに3ケ以上のアイデアをとり入れるのが方針で、特許も今では3件とっています。
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